Tシャツがなぜか小さく感じる
このコロナの時期、家にいながらでも服は着ていなければならない・・・
普通の事なのだけどふと鏡を見てほとんどのTシャツがなぜか小さく見えるようになった・・・
考えたくもないけどただ私の体型が太っただけなのは言うまでもない・・・
あちこちが痛くて動くのもいやな怠け者になってしまった・・・
やっている事は愛犬の散歩と家の事少々、しかし昨日すれ違った80は超えているだろうご夫婦のおばあさんに言われた・・・
「あの人、犬の散歩はしてても自分の散歩にはなってないよね!」と
自分でもこんなにゆっくり歩いている老犬を連れていて運動になどなっていないことくらいわかっている・・・
でもその愛犬はこの時間を楽しみそしてくつろいでいるのを私が引っ張ってどうすると思う・・・
気持ちだけ自分で脚に力を入れながら少しは運動になっているかなって思ってはいるけどそれでも自分の脚を見てげっそりするのはいつものことだ・・・
すぐに力を入れる事すら忘れてしまう・・・
愛犬をぼうっとみていてしまうのだ・・・
愛犬は楽しそうに草の中へ行きそして何をしているのだろう?
私は空も眺めながら上は自由だなんて平和ボケの事を思っているのだ・・・
人間平和ボケしてしまうと次に進むのが難しくなってしまうのだろうか?
いつもいつも頑張っていた昔をいいように書き換えて自分の思い出にしてしまっている・・・
今から作ればいい思い出をもう過去にあったからっていいやなんてずるい考えをしてしまう・・・
昔できていたことが今は本当にできなくなってきた・・・
視力も悪くなって、出来ていた当然のこともだんだんと少なくなり無理もしなくなってきた・・・
しかしその続きの言葉に私は呆然としてしまった・・・
この人の歳では普通にできる事ではないのだろうかと・・・
私の方を見て「あの人が付けている柄が入っているマスク、何処で売っているのだろう?店で売ってないから欲しいのに買えない」
このおばあさんは裁縫をしないのか・・・
同じ年代の人はよく手作りマスクをしているのを見かけるのに・・・
自分で作っているか、娘さんに作ってもらっているかそれはわからないけど、このあたりでは手作りマスクは当たり前のようなのだ・・・
田舎なのでそんなにもすれ違う人もいない広い田んぼ道・・・
だけどなぜかマスクしている人が多い・・・
アレルギーでもマスクはやくにたつからなのかもしれないけど・・・
インフルエンザのでもやはりそれは言える・・・
おばあさんの横に座っていたおじいさん、おばあさんの言葉をきいて固まってしまった・・・私に言っているのがわかったのだろう・・・
いつもおばあさんの休憩するところに敷物を丁寧にしいてとてもおばあさんを大事にしているのがよくわかる人・・・
その場所でいつも休憩しているけどおばあさんはいつも文句ばかり言っている・・・
おじいさんはそれでもおばあさんがしんどいと言えば一生懸命対処しようとしている・・・
私にとってはうらやましい旦那さんなのに・・・