久しぶりに歩く・・・

今日も、家の中は私以外誰もいない。

一人ぼっち・・・

若い日の私はこんな事思ったりもしたことあっただろうか?

必死で生活してきて、早く子供が大きくなったらいいのにってそのことばかり思ってきた。なのに子供が巣立って、ペットも天国に逝って私は今なぜここにこうして生きているんだろうって思う・・・

身体はだんだんと弱って節々はミシミシと音も立てるようになった。

誰にも必要とされなくなったのか、人に迷惑をかけたくないだけだってわかっているのに、それでもどこか居場所がほしくてどうしようもなくみじめになる。

昔は、誤解もよくされ冷たいキツイ人間と思われてた。

家族にもそう言われてた。

でも周りから見て私はそうではないと言ってくれる人もいたのは意外だった。

周りの人は冷静に見ていて誰がキツイのか冷たいのかよくわかっていたし、私の言うことをきくと私は加害者ではなく、家族の中の被害者だというのだ。

そんなこと言われなければ今まで全くわからなかった。

どこでも変わったところはあるけど私の家の中は特別変わっていたようだ。

自分の親の言うことが正しいと思い込んでいた私は今になって壊れている事に気づいたのではなく知った。知って今からどうなるか、今まで植え付けられてきたモノをかえるなんてできない。

認識すればいいと言われるけど、意味的にわかったとしてもどうしたらいいのか困惑してしまう。

それに疲れた・・・

いらない人間、どうしろというのだろう・・・

今日はとにかく外にでて歩いてみる。

前よりすごくしんどい。周りは散歩している人がたくさんいて、なぜか殺気を感じる人が何人かいる。不思議なことだ・・・

洗濯物したいけど・・・

雨の日、それでも洗濯物はたまる。

干すことろを考えながら、洗濯機を回し干していく。

乾かないかもと思いながら、タオル以外干していく。タオルは始めから乾燥機で乾かさないと無理なのはわかっているので外へは干さない。

乾燥機ですべてを乾かす方がいい事はわかっているが、洗濯物自体乾燥機がダメなものもあるので、仕方なく外へ干してみる。

今回は洗濯物の量を見てみた・・・

洗濯機の半分くらいあったので、明日の天気予報を見て晴れそうだったので今日は洗濯物はしない事にした。

今日はすることもないのだけど、めまいがするので家でじっとしておこうかと思う。

じっとしている事がもったいないような気がして、こんな日でも何かできないのかと考えてしまう。

なぜこんなことを思うのか、どうした状態でもなぜか焦ってしまう・・・

 

金のなる木

毎年、夏に強い金のなる木・・・

今年初めの冬、かなりの寒さでほとんど枯れてしまい、夏に期待をかけて枝を切って頑張った・・・

春になりようやく葉っぱが出てきたときはうれしかった。かわいらしい葉っぱ。

夏にはこの葉っぱがもっと大きくなって葉をどんどんつけてくれると期待し夏になるのを楽しみにしていた。

そしてこの暑い夏・・・

なぜか葉っぱはあまり成長せず、その上乾燥に強いはずなのにどうしてか干からびてきているような気がする。

水をあまりあげないせいなのか?それとも太陽がきつすぎて育たないのだろうか?

今までになかったような葉っぱの薄さ・・・

今年の夏は異常なんだろう・・・

私にはわからないこの暑さ。植物にはどんな風に影響しているのだろう?

まだ8月、葉っぱの成長をも少し期待してこれから水をたくさんあげなくてはと思う。

頑張れ、金のなる木、がんばれ私・・・

世の中、だんだんと変わってきている・・・

 

冷房は冷える

気持ちの良い冷房・・・

なのにすぐに寒く感じだしついには骨身に堪えるようになる。

そんなに低い温度にしている事もないのに、どうしてそうなのだろう?

湿気がひどいと気持ちが悪い。

気温というより湿気だけをとる方がいいのかもしれない。

居間についている冷房はかなり冷える。

気温を高くしていると臭いにおいもするのであまりできずどうしても低くしてしまっているせいもあるかもしれない。

どうすれは快適に冷房生活を送れるのだろう・・・

息子への電話

昨日珍しく、息子へ電話がかかってきた。

夜の事だったので、私は合格発表と少し勘違いしていたが様子がおかしい。

報道でryuchellさんの自殺の事を見た友達が情緒不安定になって誰かと話したくなったとの内容だった・・・

なぜに息子なのかよくはわからないが、息子はなに不自由な事もなく平和な環境に育ったのに不幸と自分の事を言い、何もわかってはいない。                そのような人の気持ちなんて到底わかるわけもない・・・。

虐待、金銭面での不自由、人間関係、学歴、何をとっても、恵まれた環境の人間なのだと思う。そんな息子が私の生い立ちを最悪というが私のように育ってきている人間をどれだけ見たことがあるのだろうと、今でも思う。

面と向かって言うとまた言い返されるだけなので、何も言わなかったが、病んでしまっている人の心情は本当に病んでいる人にしかわからない。

本を読んだなどど甘い事を言う子供がその今相談してきてる友達の心の奥底など見えるわけもなく、下手をすると殺されるのではないだろうかと思ってしまう。

やたらそういう人との関係性ができると、返事が遅れてしまったりすると見捨てられたと誤解をしてしまうかもしれない。

その人にはもう周りが見えないのだから・・・

 

仕事って・・・

愛犬が無くなってから仕事を探し始めるようになった。

始めは友達の仕事探しの話からだけ・・・

自分でできる仕事なんて、いまさらと思っていた。

ただ外に出なくてはいけないから・・・

仕事をしている時は習い事や検定試験や愛犬の散歩に追われた忙しいけど充実した日々を過ごしながら暮らしていた。

なのに仕事できなくなり、愛犬も亡くなり、子供も離れ私は何をやっていいかわからなくなった時初めて自分が一人ぼっちだと自覚した。

なぜ・・・学校出て結婚して早めに子育て終わって・・・

そして後は自由気ままに自分の時間があって・・・

そんなの嘘だ・・・

余生の方が断然多くて苦しいのを今気づく・・・

今、子育てしている友達の方が生き生きしている。

目的もあってそして私のような無駄な時間もない。

私はその方がいい。

だから居場所が欲しい。

しかし居場所を今から作るのは容易ではない。

このなまった身体。人の前に行くとすごく緊張して、体調も悪くなる。

仕事の面接もうまくいかない。

だけど、今度は自分のために頑張らないといけないと言い聞かせもがきながらやってみた。

何度かやって今の仕事にたどり着けた・・・

今の仕事もダメだと思いながらでもなんとか辞めさせられるまで頑張ろうとやっている。どうしてこんなにもくるしいんだろう?

居場所を作るのになぜ私はこんなにも不器用なのだろう?

覚悟が足りないのかもしれない。

今からの時間・・・

今の仕事に行きはじめ、いつものように失敗して怒られる日々が続いている。

自分ために苦しみながらしている仕事・・・

他に何か楽しみ作れればいいのに、今まで自分でしたい事なんて具体的に考えたことなどなかった。

ただ、その場の状況に流されてしまい、時間が過ぎていくこともあまり気にすることもなく生きてきた。

そのつけが今になって回ってきたのか?

私は悪い事をしていたのだろうか?

ただ一生懸命その場を繕っていただけなのに・・・

楽して生きてきたのとは何か違う。

私はどうしたら一番良かったのだろう?

どうやったら自分の為になったのだろう・・・

もう少し自分にできる事をすればよかったの・・・

この10年何もせずにただ時間だけが過ぎて行ってた・・・

そして私は今になって焦り始めた・・・

どうして・・・

時間はたっぷりあるはずなのに。

ただ時間だけは。